だいいちりょういきのなかにいる

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先月の前半から中盤にかけて、上手く時間が使えていないなぁという感覚に襲われていました。

通勤時間に圧迫されて居るというのはあるのですが、それ以外の時間についての使い方がしっくりこなかったのです。

 

通勤に時間が掛かるので平日の稽古などは諦め、歯医者や整体などのメンテナンスにかかる時間は土曜の午前中などに回して、残りの時間は以前とそれほど大差ないはずなのに…

何故だろう?と考えていたら、自分はその時に「第一領域」で無駄に一生懸命になっていたことに気付きました。

 

「新しい環境であったり、予定がまだまだ不明瞭な部分があったり、まだまだ年内くらいの仕事の見通しが立たないから、少し余裕を持たせて仕事の予定を組んでおこう」

そんな風に考えていたのですが、ここに罠が(´・ω・`)

 

確かにちょっと土日の予定などがバタバタしがちになってしまうというのはあるけど、考え方は間違ってないはず。

と、頭を捻っていたところ、ふと、何故か発想が受け身になっているという事に気付きました。

 

発想が受け身になることで、自分の行動の大半が第一領域の中に囚われる様になってしまっていたのです。

 

これは少しずつ泥沼に囚われるように移行していたので、微妙な違和感の他に自分でも気付かぬうちに自然とそうなっていました。

少し振り返って見たところで自分は第一領域の中に居るのだと、気づけたのは大きな幸運だったかも(´・ω・`)

 

緊急な事は目につきやすい

意思決定が受け身に寄ることで、緊急度の高いタスクばかりが目につくことになります。

# 実際に緊急なタスクが多いとか少ないとか、数字的な事実とは全く別の意味で

 

緊急度が高いことばかりが目に付く状況で、緊急度の低いことに取り組むには結構エネルギーが必要です。

で、一度「まぁいいか」と思った瞬間から、雪崩の様に「緊急度」に関する閾値(基準値)のような物は後退を始めます。

 

それでも構わずそのまま一生懸命にタスクをこなして行くことで、どんどん「緊急度の低い」タスクに関するセンサーが鈍くなって行きます。

そうして悪循環が始まる(´・ω・`)

 

見えない、重要度

緊急度の閾値が変動するのと同様に、重要度の閾値も変動します。

 

わかりやすいのは、新しい仕事にアサインされたような——まさに僕がその時居たところの——状況で、全体の状況や予定が見えない為に重要度を付けようがない時です(^_^;)

# という言い訳w

 

「重要だと思えない」タスクが、本当に「重要でない」タスクであるかは別の話です。

そこを取り違えたまま日々を過ごすことで、重要度に関する閾値も崩壊することになってしまう…

 

価値観も信用できないもの

こうして、鈍くなった緊急度と重要度の閾値により、時間管理のマトリクスは破綻します。

そこで受動的にこなせるタスクは大半が第一領域のものなので、自分の主体が第一領域にあるのと同じことになってしまいます(´・ω・`)

 

こうした状況から抜け出すための指針は、自分の価値観に基づいたミッションステートメントなのでしょうが…

 

「自分にできうる限りのコミットメントをする」というような曖昧な価値観ではそれすらも信用できなくなります。

状況は時間と共に刻々と変化を続けるので、限定的な状況を想定した価値観でも捉えることは難しい。

 

立ち止まらないこと

何よりも重要なのは、どんな状況でも立ち止まらないこと。出来得る限り自分から能動的に動き出すこと。

そうして行かないと停滞しがちな状況から抜け出せないかと思ったのですが…

 

あれ、もしかして、それも価値観になるのかなぁ…

そんなこんなで、とりあえず、もう少し能動的に行動しなければ駄目だなぁと思う今日この頃です__ \ノ’∀ン ヒャッホウ

 


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